インターネットは非現実空間 長期入院生活で学んだこと
膝を骨折して2カ月そろそろ退院。
いろいろ考えた
・長期間外に出ないでネットを見てると精神的におかしくなること
・オフ会とスカイプの違い
・ツイッターで罵詈雑言を言う匿名アカウント達
そして全てがつながった。
インターネットは非現実なのだ!!
全て実体験による仮設です。
■長期間外に出ないでネットを見てると精神的におかしくなること
アイデンティティ、自分が何者であるか、自分は共同体のために何ができるか、これを喪失すると精神的におかしくなるという自説を前庭に。
非現実空間(インターネット)上でアイデンティティを確立してしまうと、もちろん本当は現実空間で生きているので現実空間でのアイデンティティを喪失し精神的におかしくなる。
ツイッター、スカイプ、LINE、ニコ生、そういった共同体があってその中で自分が何者かということを確立してしまうのは危険性がある。そこは非現実空間なので。
サブ垢を作る行為にもそういったものが関係していると思う。現実空間ではサブ垢というものはもちろん作れない。なので共同体(家族、友人、職場)における面倒ごとを避けては通れず解決しなければならない。非現実空間ではサブ垢を作ることは簡単で共同体に面倒ごとがあった場合、もしくは自分が嫌になった場合に新しい自分を作り出せる。便利だ。しかしながら全部非現実。
嫌になったら逃げ出せるような共同体におけるアイデンティティに意味は「ほとんど」ない。一時的な偽薬にはなるだろう。
ネットにおけるメンヘラが多いのはこういった理由なのではないかと。だから現実空間でアイデンティティ、自分が何者なのかを確立しないと治らないよと。「外にでろ」と。
■オフ会とスカイプの違い
ネット依存症に対して「外にでろ」と言うことがあるけど(よく炎上している人がネット住民に対する文句)、これあながち間違っていないと思う。
スカイプでの通話で事足りるのになぜオフで合う必要があるのか。
これ書き換えて、
非現実空間での会話(スカイプ)で事足りるのになぜ現実空間(オフ)で合う必要があるのか。
とすると必要性がでてくる。数人に聞いたがスカイプでの通話はやはり機械と話している感覚が抜けないという。
もちろん好奇心や遊園地で遊びたいなど現実空間でしか無理な場合でのオフ会もあるだろうが、根本的には
「非現実なもの(人)を現実のもの(人)にしたい(認識したい、確認したい)から」
もしくは
「非現実空間でのアイデンティティを現実のアイデンティティにしたいから」
オフ会をするのではないか。
とくに大切な人、感謝したい人、仲がいい人だと前者の理由で、何かの共同体に属している場合は後者の理由なのではないかと。
自分は何者なのかをネット上に作り出して、それを維持するために人と積極的に繋がり、自分が崩れそうになってさらに繋がりを求める。しかしそれはあくまで非現実。外に出て会いに行かなきゃと思った。とくに私のようなネット依存症は。
■ツイッターで罵詈雑言を言う匿名アカウント達
前回の記事で書いたことなんだけど、またはるかぜちゃんがいいこと言ってて(今回の非現実考察の始まり)、悪口を言ってる人が現実にいてびっくりしたと。
前にすわってるおばさんと娘(おとな)さんがぼくのアンチっぽくてずっとぼくの悪口言ってたんだけど、生ではじめてアンチさんにお会いしたので興奮して、これはアピールしなきゃっと思って、視界に入るように妙な動きをしたり、せのびをしながら『ンミャッ』とかちょっと声をだしたりしたんだけど
— ♔はるかぜちゃん ♔ (@harukazechan) 2014, 8月 17
視界には入ってるはずなのに、ぜんぜん反応しないし、ぜんぜん気づいてくれないのぬ…
— ♔はるかぜちゃん ♔ (@harukazechan) 2014, 8月 17
それでふと思ったんだけど、もしかして、この人たちにとって、ぼくは現実に生きてる春名風花ではなくて、あくまでバーチャルな『はるかぜちゃん』っていう二次元の生きものなのかなーって。だから、そういうひどいことも気にせずに言えちゃうし、目の前にあらわれても、気にもしないのかなーって。
— ♔はるかぜちゃん ♔ (@harukazechan) 2014, 8月 17
彼らにとってぼくはあくまでもバーチャルのネット上のアイコンで、日ごろのストレスの捌け口でしかなく、現実のぼくには興味も関心もないのかも知れない。そんなことを、ふと考えた。そうだよなぁ。目の前にいたり、現実に会うかも知れない人間だと意識していたら、そんなこと言えないもんなぁ。
— ♔はるかぜちゃん ♔ (@harukazechan) 2014, 8月 17
それを思うと、インターネットって怖いね。みんな、モニタの向こうではふつうに生活してるふつうの人間なのに。いつのまにかネット上で見る記号になって、少しずつ、こうやって麻痺しているのかも知れないね。
— ♔はるかぜちゃん ♔ (@harukazechan) 2014, 8月 17
ですね。ぼくもハッとした。 RT @luminary_LC @harukazechan ネット越しだと、相手が人間だってこと忘れる。そういう人はかなり昔からいる。
アイコンという表現は目が覚めるくらい適しているね
— ♔はるかぜちゃん ♔ (@harukazechan) 2014, 8月 17
ないぬ!ぜんぜんない。だからアンチさんってネット上にしかいない妖精さんだと思ってた RT @yasudayasu @harukazechan 心ないことを言われるのはTwitterだけですか?ないと思いますが街中で声をかけられてリプと同じようなことを言われるときもあるんですか?
— ♔はるかぜちゃん ♔ (@harukazechan) 2014, 8月 17
やはりインターネットは非現実空間なんだと思った。現実だったらいきなり罵詈雑言を浴びせかけるなんてしないからね。
そしてツイッター、インターネットの言論というのは非現実の枠を超えることはほとんどないと思った。
政治的なツイートもごく一部の限られた人にしか意味がないものだと思った。
本当に意識が高い人は本を読んでそのついでとしてネットで情報を得るのだろう。
日の丸アイコンのツイートも脱原発の人たちのツイートもなぜ現実感がないかようやく分かった。だってそこは非現実空間だから。
■最後に
それでも私はネットがなかったら死んでたと思う。ネットの友達で大切な人たちはたくさんいる。そういう体験をしたからこそネットの中でアイデンティティを確立してしまって抜け出せないんだろう。
ネットが全てダメという話ではなく、非現実なものだということを認識しながら活用しないとおかしかことになるかもよって話。
入院生活で精神を正常に保つには他の患者さんや看護師さんと仲良くなってその共同体の一部になればいいけど、そんな社交性あったらネット依存症にならないってね。
エゴサーチと晒しを考える
エゴサーチ (egosearching) とは、インターネット上で、自分の本名やハンドルネーム、運営しているサイト名やブログ名で検索して自分自身の評価を確認する行為のことである。エゴサーフィン (egosurfing) ともいう。
wikipedia:エゴサーチ
ツイッターで自分の名前を検索して、それをコメント付きで非公式RTする。
バカッターのように自分のツイートが全世界に発信されることを意識していない人は、まさか本人が見てると思わず名指しで批判をする。
これに対し
「晒し上げるのはやめてください」
「一般人を叩くのは有名人としておかしい」
「有名人なんだから批判は覚悟してスルーしろ」
など身勝手なことを言うツイッタラー。
人の批判を名指しでするなら晒されること覚悟しなければならないでしょ。
事務所で言う陰口とは違い「全世界に発信する陰口」なので。
スルーするのもRTするのも勝手でしょう。
何よりツイッターで名指しで罵詈雑言やセクハラをする方がどう考えても害悪。
RTしてる中学生の女の子(はるかぜちゃん)に、上から目線の大人の態度()で「そういうことはやめたほうがいいです」という人は、その大人の態度で中学生に罵詈雑言やセクハラをしている輩を注意してもらいたいものだ。
更に言うならば
はるかぜちゃんにおちんちん見て欲しい人は明日朝9時にハチ公前交番に行って『女子中学生におちんちんを見せに来ました○○です』と大きな声でおまわりさんに名前を言ってね☆(変態さん夏の一掃キャンペーン)
これに対して説教するなら
自分の裸体を晒している女の子、男の子のほうがよっぽどやばいから説教したらいいのに。
政治と宗教の話をできない空気を考える
ツイッターですら気軽にできない。
宗教と政治と野球の話はするな
とよくいう。
争いがおきるから。
野球の話は今はあんまりしなさそうだけど40代以上のおじさん世代はヒートアップする可能性あり。好きな話をするのはいいけど嫌いな球団をボロクソ叩く人いるから。議論というより喧嘩になる。とりあえず置いておく。
宗教はどうだろう。
日本で宗教というとオウム真理教、幸福の科学、創価学会のような新興宗教のイメージが強い。その中にさらに胡散臭い、人を騙す、金が絡むようなイメージがあるのかな。
伝統宗教もなぜか最初にキリスト教が出てくる始末で。
仏教と神道が生活に溶け込みすぎてて宗教という認識が薄れてしまっているのが原因か。
溶け込みすぎてて「日本人は無宗教」という変な話になり、宗教=新興宗教のイメージも伴って、宗教の話をすると「気持ち悪がられるんじゃないか」と思ってしまう。
これは実体験だが実際はそんなに気持ち悪がられない。私だけかもしれないが。どちらかというと無関心層のどうでもいい空気のほうがきつい。
政治はというと
1、どうでもいい 考えたくない
2、難しい 分からない
3、争いたくない
4、してはいけないルール
の4パターン?
1の無関心層のパターン。飲み会でこの空気を出されると私は急に黙ります。
1と似てるが2はまだ聞く話す姿勢があるので話しやすい。しかしながら簡単に話さないとたちまち1番と同じ空気になる。この辺は例えを多用して心がけている。
3は野球の話と似ている。自分の意見を出して相手が違う意見を持っていて気分悪くさせたり争うことになりそうなので話さない。また相手が意見を言ったことに対して自分は違う意見を持っているが争うことになりそうで話さない。
喧嘩と議論を間違えて喧嘩してしまう人がいると話せなくなるのも分かる。この辺はまた違う機会に。
4はかなり問題。最初からそういうルールだからのような空気を作ってくることがある。政治の話したいなら政治結社に入ったら?と本当に言われたことがある。普通の国民は政治の話はしませんみたいな。ちょっと怒ったよね俺。
なんでそんなに政治の話をしたいのかはまた別な機会で。
なんとかならないもんかなーこの空気。